離れることで得られたもの
2008 / 05 / 19 ( Mon ) 私にとってどんどん過去のお話になりつつあるので、思い出しながら書いていきます。途中前後しちゃうかもしれないなぁ。。。
当時は無我夢中で「もうイヤだ、無理だ。。。」って感じで離れる=退職することに決めたのですが、今思えば「必要があったから」自分で選択したのだと思います。 なぜ離れる必要があったのか。それは自分を受け入れる準備のためだったと思います。 なぜ自分を受け入れる必要があったのか、ということですが、とりあえず準備の段階から順を追って思い出しつつ(^^;書いていきます。 ***** 離れたことで安心して自分の感情と向き合えるようになりました。 私の場合は、そうして初めてモラ上司に対して「怒り」だとか「嫌悪」の感情を抱いていたことに気づきました。本当にマヌケだと思うんだけど、「あんなやつ大っ嫌い」と思いつづけていたことを忘れていました。(そういえば、ずーっと前は嫌いだと思っていたような気がする) モラ上司の側にいて常に叱責されている中で、おそらく「ネガティブな感情を持つことに対する禁止」があったように感じたのだと思います。“ぽじてぃぶしんきんぐ”の推奨だとか、“できるびじねすまんのこころえ”みたいなものもそうだけど、なんていうのか「罪悪感」を植えつけられるように感じたことがあったのだと思います。 多少(?笑)不条理なことでも私のために言ってくれているのに、恨みに思うなんてとんでもない。。。 言われたことは(ある程度は)もっともなことだ、悪いのは自分なのだから、私が変わらなくては。。。 ネガティブな感情を押さえつけすぎていたような気がします。「在る」ものを「ないはず」としてしまっていたために、その歪(ひず)みができていたことに気づけなかったのでしょう。「在る」ものは「在る」とするために(私の場合はネガティブな感情)「在る」ものを「ないはず」とせざるを得ない状況から脱出する必要が、私にはあったのでした。 泣いたり落ち込んだり、きっと周りの人や家族に迷惑をかけてしまったと思います。でも、そうしてでも自分で気づく必要があったと、今では思うし、あのままだともっともっと自分で自分を不幸にして、そして周りを巻き込んで飲み込んで恐ろしい状態のままだったと思います。 当時を振り返り、家族は今でも言います。「見ているこちらも辛かった」って 今は心から言えます「もう大丈夫だよっ」
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